クイア・プラクティス

ノン・ヘテロの身体障害者。雑文書き。観て読んで考えて書く。それが反応。

本の花束(1)アンナ・ラングフュス『砂の荷物(1974、晶文社)』

 ネットフリックスのオリジナルドキュメンタリー『最期の日々:生存者が語るホロコースト(1998)』はすでに観ましたが、ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅政策についての9時間半に及ぶ証言映画『ショア(SHOAH、1985、フランス)』は、私はまだ観ておりません。いまならDVDで購入できるかもしれませんが、<すべての語り>を完璧に近い形で再現したテクスト『ショアー(1997、作品社)』を、近い将来に読もうと思います。
 その前に、ユダヤ人女性作家アンナ・ラングフュスの1962年にゴンクール賞を受賞した小説『砂の荷物』(女のロマネスク5)を、いま読んでいる最中です。ペーパーバッグだからと安心したものの、2段組でなかなか読みづらい。この読みづらさはいったい何だろうか。さっそく“参考書”を開きます。

「収容所という地獄の川を渡り、自己の内部が打ち砕かれたまま、現実の生に還帰しようという試みが結局は無残な破局を迎えてしまう女性を描いた、印象的な忘れがたい内面的証言の文学」

「作品としての『砂の荷物』の特徴は、すべてが暗示的にほのめかされ、そして突然、裂け目から鋭角的な断片的なイメージが突き出されてくるところにある」

「主人公のマリアという名前が、実は本名ではないというのも暗示的です。そのマリアという名前は、ポーランド抵抗運動組織のマリアンが、彼女のために作ってくれた偽造の身分証明書に記載されたもの」

「『強制収容所』のことも揺曳するぎりぎりのイメージで示されるだけですが、その示し方によって、強制収容所が生命だけでなく、人間の精神を押し潰し、魂をも殺戮してしまうことを見事に語っている」

 久保さんの理解は、おそらく正しいと思います。20年ぶりにこの小説を読み返した久保さんは、フォト・ジャーナリスト大石芳野さんの『[夜と霧]をこえて――ポーランド強制収容所の生還者たち(1988、NHK出版協会)』を思い出します。ナチス強制収容所を生きのびた人びとの体験と現在を日本人女性が記録した貴重な著書です。大石さんはその本の第1章で、「新しい病、強制収容所症候群」について、多くのことを書いています。大石さんは、かつて自分自身がアウシュヴィッツの囚人であり、そして戦後、「新しい病」である「強制収容所症候群」の治療と研究にすべてを捧げてきたクオジンスキ医師に導かれながら、「強制収容所症候群」に苦しめられているさまざまなひとびとに会っていきます。戦後も40年(2021年現在では、なんと76年!)以上経っているというのに、その人たちはいまだに完全な解放感がなく、神経過敏、不安、恐怖感、周囲の環境の不適応、絶え間ない自己分裂、他人への不信へと陥っていく――そして、時の経過とともに内面の傷は癒されず、その傷口は時とともに成長する、ということを知るのです。

 まず、久保さんが「暗示的」だと書きましたが、冒頭のアンドレ・ブルトンの引用文を出してみます。

「この辺鄙な浜辺に、おまえはただひとり辿りつくだろう。すると、おまえの砂の荷物のうえに、星がひとつ降りてくるだろう」

 タイトルにもなっている『砂の荷物』は、作者や登場人物の背景から考えて、「過去の重荷=無意味な重さ=強制収容所での計り知れない苦痛」であるとして、「星が降りてくる」のは、凄惨な体験をした被害者の頭上に知らず知らず、しかしそれは必然として、流星が爆発し炸裂するようなものです。このように引用文は直接的だったりもします。私がこう分析すると、なんかペラいですよね。
『砂の荷物』によってアンナ・ラングフュスがとらえようとしたのは、まさに大石さんが追及した「強制収容所症候群」そのものであり、そしてそこで決定的に語られているのは、戦後の状況そのものが「強制収容所症候群」を、むしろいっそう悪化させていくものだったということにほかなりません。

 久保さんは、「この小説は、再読を読者に要請する微妙さを持っています」と書いています。決して「難解」とは書いていません。ですから、もう一度読もうと思います。
 なお、アンナ・ラングフュスは第一作『塩と硫黄(1960)』、最後の作品『跳ぶんだ、バルバラ(1965)』の三つの作品を書いて、1966年に自殺しました。
「作者自身、マリアのように戦後の世界に根づくことができなかったのでしょう。しかし、すべての祈りから拒まれ、また、すべての祈りを拒みながら、その文学は、祈りそれ自身となっているのです

(2021年5月27日)