クイア・プラクティス

ノン・ヘテロの身体障害者。雑文書き。観て読んで考えて書く。それが反応。

本の花束(2)関千枝子『この国は恐ろしい国(1988、農山漁村文化協会)』

 今年2月、88歳で死去したノンフィクションライター、関千枝子さんの最後の著書『続ヒロシマ対話随想』が3月に発売されました。親交のあった作家で被爆者の中山士朗さんと書き上げ、生前に原稿の確認まで済ませていたそうです。

 13歳のときに広島で原爆に遭い多くの同級生を失った関さんは、「死ぬまで書き続ける」という言葉通り、亡くなる直前まで戦争を知る世代としての思いを綴りました。生涯現役のジャーナリストでした。

 裕福な家庭に生まれ、読書好きな少女だった関さんは、1944年、父の仕事の関係で東京から広島に移り住み、旧県立広島第二高等女学校に通いました。45年8月6日、当時2年生だった関さんは体調不良で欠席していましたが、同級生たちは広島市雑魚場町(現・中区国泰寺町)で、空襲で火災が広がるのを防ぐために建物を取り壊す「建物疎開」の作業中に被爆します。爆心地から1.1キロの場所にいたことで、39人中38人が亡くなりました。関さんは、学校を休んで助かったという負い目、生き残ったことの重荷を抱きながら、新聞記者となりました。1976年、遺族の集いで悲しく痛ましい遺族の話を聞き、級友の被爆記録を残すことを決意して、級友の足取りと最期を克明に追った『広島第二県女二年西組』を1985年に発刊し、日本エッセイスト・クラブ賞を受けました。他に『ヒロシマの少年少女たち』などの著作があります。

 その関さんの労作のルポルタージュ『この国は恐ろしい国―もう一つの老後―』は、日本の低所得者層、つまり母子家庭の母親たちを丁寧に取材しています。

 

「関さんの報告で私がとりわけ驚き、そして恐怖すら覚えたのは、札幌市白石区の福祉事務所の事例でした。四人の未成年の子を持つ三十七歳の家庭の母親が、勤めのパートの給料ではとても足りずに生活保護申請をしたら、実態調査に来た保護係が、まずレンジやステレオがあるのは支給の支障になるからというのです。レンジもステレオも買ってから十年もたっているものだから売れないだろう、と答えると、“他人にやってでも処分すること”といい、そして、“売って金になるものはまず売る。すべて売る。身体もね”と付け加えたのでした。その人の離別した夫のことや、親類のことなどを問いただし、結局は、申請の辞退届を書かせたのです」

「この話は、1987年に、ガスもとめられ寒さの中で餓死したある母子家庭のことを調べていた際に、関さんが直接本人から聞いたものですが、売春を示唆する福祉事務所とは、なんとグロテスクな存在なのでしょう。このことと同時に私が本当に怒りを禁じ得なかったのは、福祉事務所が保護家庭どうしで監視させあい、密告を奨励しているという事実でした。受給者が、どうしても役所や係によく思われたいとなりがちな心理的弱みにつけこむのは、全く卑劣というほかありません」

 わたしが最初に聞いた“生活保護の都市伝説”は小学校の教員からでした。夏、どんなに暑くてもクーラーは買えない、冬、どんなに寒くても石油ストーブは買えない、というものでした。

 いまから思えば、「生活保護になったらどうしよう…?」と無意識の恐怖を植えつけるものでしたが、11年前、脳梗塞による片麻痺言語障害の後遺症のため、長期入院で働けないので、生活保護申請をして受理されました。

 確かに、月々の生活保護費で一括でクーラーを買うのは無理ですが、少しずつ貯金したら何とか買えました。単身療養生活は不便ではありますけど、いまはネットが使えるから便利なものです。とはいえ、月々の主な経費はPC付属品費や通信費ですから痛し痒しで、経済的に苦しい日々が続いています。昔は欲しいものがあればぽんぽん買いましたが、いまでは何を買うのにも躊躇します。受給日は月頭にあり、月末の家計は必ずといっていいほど、まるで火のように燃えています。

「福祉事務所」というのは、各自治体の生活福祉課の職員だと思います。わたしのような重身体障害者には、「あるものは売りなさい、働きなさい」「ハローワークに行きなさい」などと言ったことは一度もありません。

 これは生活保護受給者の一所感ですが、時代や地域、家庭の事情や職員の個性はさまざまですから、一概には言えません。特に精神疾患者や難病者、母子家庭の母親など「働けそうに見えるが働かない/働いてはいるが非正規で最低賃金(実は怠けている)」の人たちのほうが、職員に対するプレッシャーや、社会に対する偏見が強いのかもしれません。

「関さんは、この本の末尾につけた経済学者久場嬉子さんとのとても貴重な対談『“買う福祉”を買える人々・買えない人々』のなかで、『本当に困っている当事者である人々、たとえば母子家庭のお母さんたちは声を上げるひまがない。くたびれはてて声を上げる余裕がない。考えることもできないほど追いつめられている。……本当に困っている人たちは声を上げることができないんです』と語っていますが、全くその通りだと思います。

 この本のなかにも指摘されていることですが、<底辺の所得者層>、とりわけ生活保護を必要とする未婚・離別の母子世帯の実際はほとんどマス・コミで語られないし、話題にする時は、歪んだ仕方でしかとりあげません。しかし、シモーヌ・ヴェイユがいうように、社会の本当の姿は、弱者・少数者の現実に最もよく写し出されるものであり、私たちは『声を上げることができない』『本当に困っている人たち』の存在と現実を通して、はじめて社会を見るリアルな眼を獲得することができるのです」

 生活保護受給者を見事脱出したのはいいけれど、その代わり税金や健康保険料など、払えるはずの金を払えなくて、絞り取られ、疲れ果てて、また生活保護受給者に戻って来たという話を聞きます。長い間「生活保護費ではなくベーシック・インカムを!」と唱える人たちがいるにもかかわらず、政府は生活保護受給費を3段階(3年間)に分けて削減しようとしています(いまは2年目です)。わたしたち生活保護受給者はいったい、いつこの状況から抜け出したらいいのでしょうか。本人たちは「経済的に自立したい」と言いますが、生活保護システムは、そう簡単に自立させてはくれません。

「私は同情の必要ということから、このことを申上げているのではありません。弱者・少数者が痛めつけられる社会は、<ふつう>の人びともけっして幸福になれないのだということを、私たちは深く認識する必要があるからです

 もうひとつ、付け加えておきましょう。多くの日本人は親米派だとわたしは思います。わたしも「自由の国」としてアメリカが好きですが、その「自由」は表裏一体です。つまり、貧富の差が大きいのです。たとえば、すべての法人資本の半分が人口の1%によって所有され、その一方で、すべての家族のうち81%がまったく財産を所有していないのが、アメリカの現実です。

 米国労働省の統計によっても、極貧層の割合は29.9%(1975年)→38.1%(1995年)になり、人口では3650万人が、4人家族で年収192万円以下であり、一方、資産10億ドル以上の富豪は、1997年に前年の135人→170人に増えてます(米経済誌『フォーブス』による)。しかも福祉・教育などの社会保障費は削られ、医療費を払えず医療を受けられない人間が人口の7分の1の3500万人に達するだろうと言われています。

 マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『シッコ(SiCKO、2007、アメリカ)』(日本のキャッチコピー「テロより怖い医療問題」)を観た人は、すぐわかると思います。

「経済学者の降籏節雄さんは、アメリカは『強いヤツは勝て! 弱いヤツは死ね!』という社会なのだといっていますが、アメリカ資本主義は、生命と労働を軽視し、失業者をつくり、弱者・敗者を切り捨てる、腐敗と投機の経済そのものにほかなりません。そして、そのような現実を合理化する弱者切り捨ての論理が、いま突然日本でも大合唱のように叫ばれはじめている、<自己責任>という言葉に集約されているのです。ちょっと注意すれば分かることですが、アメリカを褒め讃えるエコノミストたちが、なにかとよくふり廻すのが、この<自己責任>という単語です」

私たちは、カネと力のある者にとって、大変都合のいいこの言葉にダマされてはいけません。日本の政府も企業も、<自己責任>を強調しつつ、日本社会をアメリカ的な方向に――富める者の天井をとり、貧しい者の床板をはずすことを推し進めようとしています

 今年2021年はコロナ禍第4波です(しかも悪化しているから日本には渡航禁止を言い渡されています)。もちろん日本政府は認めていません。感染力の強い変異株が猛威を振るっているにもかかわらず、コロナ対策は相変わらず<国民の努力>のみでうんざりです(今年1月に深刻なパンデミックに遭ったイギリスは、1:ロックダウン、2:PCR検査、3:ワクチン接種を徹底的に行ったので九死に一生を得ましたが、日本はどれもやっていません)。コロナウィルスは急速にバージョンアップしたのに、日本政府はまだインストールもされてません。なんと機動性の低い日本政府!

 飲食業や各エンターテイメイント(ライブ・演劇・コンサートなど)の営業停止で失業した人たちも多くいることと思いますが、失業者の人たちに日本政府は保証金は一切渡しませんでした(財務省は国民に保証金を渡すのに反対しました)。税金は搾り取るのに保証金は一切渡しません。なんと吝嗇な日本政府!

(経済学者の森永卓郎さんは、「補償金を渡さない政府は、個人企業や零細企業、中小企業が潰れるのを待っています。やがて大企業だけがぐんぐんと成長し出すようです。まるでコロナ・ショック・ドクトリンです」と言っていました。わたしもそう感じます)

 かつて「一億中流社会」だった国は、もうありません。もしも関さんがまだご存命ならば『この国は“もっと”恐ろしい国』を書いてくださったのかもしれません。

            *   *   *

*注:マルガレーテ・ブーバー・ノイマン『第三の平和(1954、共同出版社)』、崔承喜『私の自叙伝(1936、日本書荘)』は、都内図書館で所蔵してないため読むことができませんでした。国会図書館ならまだ希望がありますが、コロナ禍が下火にならないとおそらく行けないでしょう。ひじょうに残念です。引用文だけでもそのうち紹介します。

(2021年5月30日)