クイア・プラクティス

ノン・ヘテロの身体障害者。雑文書き。観て読んで考えて書く。それが反応。

本の花束(13)佐藤亜有子『花々の墓標』(ヘルスワーク協会、2008年)

 2016年の日記に、佐藤亜有子が亡くなった、と書いてあり、わたしは自分で書いたものに自分で驚きました。佐藤亜有子という作家も知らなければ、彼女が亡くなったことすら知りませんでした。なぜ無名の作家が死亡した件を日記につけていたのでしょうか。5年前の自分はなぜか気にかかったのだと思います。それでもまだ作品は読んでいませんでしたが、先日さっそく『花々の墓標(2008)』を読みました。

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 1969年生まれの彼女は、わたしと同世代です。東大仏文科卒で、翻訳業のかたわら小説『ボディ・レンタル(1996)』で第33回文藝賞優秀作に選ばれますが、2013年、アルコールを併用した急性薬物中毒で死去します。享年43。彼女は全部で10作品を遺しました。そのなかの一冊が『花々の墓標』です。これは小説ではありません。自叙伝でもありません。

衝撃的な作品で脚光を浴びたニキ・ド・サンファルは、あるインタビューで、もしわたしがアーティストにならなかったら、テロリストになっていただろうと語っている。性虐待――中でもとくに親権者から受けた性犯罪の被害者が抱く怒りや暴力衝動は、人の想像を絶するくらいとにかく激しいものなのだ。わたしも彼女と同様に、作家でなければ通り魔か狂人か、殺人犯になっていただろうわたしは男を殺すこと――できることならすべての男を殺害することを夢想せずにはいられないギリシャ神話の最高神で好色漢のゼウスにも、ハーレムを持つ獣のオスにも、わたしは本当に吐き気を覚える。だがわたしは、なにも、世界の半分を占める男の性と敵対するべく生まれたわけじゃない。それどころか、わたしは自分に取り憑いている男たちへの殺意に苦しむ。なぜここに愛はないのか、なぜわたしは誰とも愛し合えないのか――そう思えば思うほど、わたしの生への絶望感がますます深くなっていく。
佐藤亜有子『花々の墓標』

 幼少のころ、ニキは実父のペニスを舐めさせられたといいます。父の名前が象徴的で、“ド”は貴族の称号、“サンファル”はフランス語で“聖なるペニス”。女子どもは家父長制の犠牲者たちなのです。
 佐藤亜有子の幼少期にも、実父から性的虐待を受けた記憶がありました。同じころ、姉もまた実父から性的虐待を受けました。姉は東京の音大に入って一人暮らしをしますが、学生生活が破綻した姉は、退学して実家に戻って精神科に入院します。泣き、喚き、暴れて、姉は人格がどうにかなってしまったのです。診断名は境界性障害。当時、亜有子はかろうじて精神のバランスをとっていました。彼女は姉よりも症状が軽かったのですが、母と姉と時間をかけて話し合いました。
 姉の顔は叔母(父の姉)に似ていたので、父は姉にこう言ったのです。「もしもこの世にお前とお父さん二人きりだったら、お前はお父さんの子を産むんだ」と。そして、父と姉が性交しているところを、母が目撃しました。母もまた幼いころ、近所の中学生たちに集団で犯され、実兄とも一方的に肉体関係を持たされました。
 姉の話から、「わたしは愛されてないんだ! 父に無料で身体を触らされたわたしは幼い娼婦だったが、父は姉を愛していたんだ!」と、父との歪んだ愛情から狂気の嫉妬が生まれます。母の話から、「佐藤家の女は性的に搾取されるのが因習的な呪い」だと、運命のループから逃れられない無力感を抱きます。何もかも父が悪い、父のせいだ、と憎むと同時に、父から愛されていない、わたしは必要ないんだ、と自暴自棄になるのです。
 彼女にとっての小説は、ニキのような「作品」として、自己治癒を目的としていましたが、一人ではもうどうすることもできないと自覚して、精神科医斎藤学のところへ通い、似たような患者(あるいは被害者)たちとグループ・セラピーに参加します。そのセラピーのイメージワークで彼女が見たのは(白昼夢であるらしい)、彼女自身の血まみれの死体でした。たぶん誰かに殺された(あるいは父に何度も性的に虐待された)のでしょう。

わたしはいくら先生の言葉どおりに春のイメージを浮かべてみようと試みても、晩秋か冬の森しか見えなかった。日差しはまだある時間帯だが、空気は乾いて肌を刺すほど冷たくて、すっかり木々の葉が落ちて、裸になった枝の影が、黒く不気味に絡み合っている。もう生き物の声もない。そんな荒涼とした景色が、どう払っても頭の中から離れない。そしてわたしは落ち葉の積もった地面の上に、服が裂かれて肌もすっかり乾いた血や泥にまみれた、女の死体を目にしていた。その虚ろに見開かれた目が、ショックのあまり茫然として凍りついた表情のまま、わたしを見つめ返してくる。
 […]
 あなたは、自分の死体をどうしてあげたい? わからない、彼女はもう死んじゃったから、どうすることもできない――そういいながら泣きじゃくるわたしは、完全な混乱状態に落ちていたので、自分がなにをどう言ったか、あまり整理できない。ただ断片的に、死体はすっかり傷だらけで、そこに置き去りにされたまま、まだ誰も見つけてくれない。服はずたずたで、肌も泥まみれ、血まみれ。誰も死体の目を閉じてくれない。傷ついた体をちゃんと洗って、きれいな服に着替えさせて、その死を悼んでもくれない。そんなことを嗚咽の合間に、口走ったように思う。
 いつの間にか、わたしの周囲には、さいわい全員女性だった参加メンバーが集まってきていて、ならわたしたちが、ちゃんと体を洗ってあげるよ、傷もきれいにして、服も着替えさせて、ちゃんとお祈りしてあげる――そうつぎつぎにわたしに声をかけてくる。わたしは感謝を伝えるつもりで、その都度うなずきながら、ふたたび死体をどうしてあげたいと尋ねてきた先生に、暗い地中に埋められるのはいやだから、その代わり、そのまま地面に横たえておいて、花で埋めてもらいたい、と答えていた。いろんな花。色鮮やかな花々や、とても香りのいい花。それでわたしの死体を、すっかり覆ってもらいたい。
 すると周囲のメンバーが、じゃあわたしは、スミレを持ってきてあげる、わたしはカトレア、わたしはヒヤシンスと言って、言葉でわたしに献花してくれる。傷だらけで汚れてしまったわたしの死体が、そこに集まったみんなの手で洗われて、服もきれいにしてもらって、きれいな花々で埋められていく――そんなイメージで、わたしはすっかり過度の興奮で疲れきっていたものの、まぼろしの花びらのひんやりとした感触や香りで、心は徐々に鎮まっていった。もう大丈夫? と訊いてきた先生にうなずいたわたしは、そのイメージを抱いたまま、その場で眠りに落ちていった。

 春の森のイメージに失敗して、自分の他殺死体を見る。その殺伐としたイメージは、どう見ても「幼少期に性的虐待を受けていた自分」で、セルフイメージの修正をみんなに手伝ってもらう。みなそれぞれ傷ついているが、そのぶん、同じ仲間にはとても優しくて思いやりがある。感動的なワンシーンでした。

 最初は思いつきで「パーツごとに売春する最高学府の女子大生」を小説に描き、それから年一冊のペースで発表していましたが、5年の沈黙のうち、『花々の墓標』が出版されました。版元は斎藤学が顧問を務めている医学書中心の出版社で、彼が解説を書いています。

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 治療で接した彼女は児童期性的虐待の被害体験を持つ特有の症状(解離性フラッシュバックを始めとする解離性障害)を抱えていた。彼女の著書にもその影響を読み取ることができる。解離性障害とは意識野に貯蔵され編集された記憶とは別種の生々しい記憶が日常現実にしみ出す現象のことである。「解離」とか「意識野」とかいう言葉を用いて現代の外傷性記憶理論の基礎を築いたのはフランスの心理哲学者で精神科医でもあるピエール・ジャネで、彼は意識野から排除(解離)され「記憶という編集作業」を受けないまま「生々しさを保ち続けている過去の体験・感覚・感情」が何らかのきっかけで甦るものと考えていた
 ジグムント・フロイトによるオイディプス葛藤説が世を覆うようになってから、ジャネの解離理論は忘れられ、解離性フラッシュバックや多重人格は犠牲者を騙る者の「空想」と片づけられてきた。しかし1960年代後半から始まったベトナム戦争が事態を変えた。父親からの性被害の後遺症に悩む女性たちの症状は「空想」とされて屑籠に入れられたが、国家の要請に応えて出征した青年たちの戦争外傷後遺症(映画『ディア・ハンター』『タクシー・ドライバー』などの映画がその実態を明瞭にしている)まで「空想」とするわけにはいかなかったからである。こうしてPTSDが疾患単位として登録されるようになり、「ジャネの復権」とも呼ぶべき外傷理論の精緻化が進んでいる。さらに外傷体験を災害・事故・戦争などとの遭遇体験を指す「単一性PTSD」と、家庭内暴力児童虐待近親姦虐待のような閉所で長時間続く外傷体験後遺症を意味する「複雑性PTSD」とを区別して把握するべきだという意見もある。こちらの方は精神科医一般に受け入れられているとは言えないが、わたしはこの意見に賛成だ。
 要するに佐藤さんは複雑性PTSDを抱えた人だと考えたので、そのための治療を行った。その方法は「得も言えぬ恐怖」で語り難くされている体験を「敢えて語る」機会を与えることである。これを反復させることで「語り得なかった」(それゆえに自らのパーソナリティに編集統合されてこなかった)記憶は自分というストーリー(筋書き)の中に統合されるようになる。そのためであれば話してもよいし、描いてもよい。もちろん書いてもよいわけで佐藤さんには、「今まで書けなかったことを書く」ことを求めた。
 その結果を読むことができたのは04年の春頃のことだったと思う。今目にしているものよりも荒削りで、特にエンディングの死体は枯葉の中に放置されていたと記憶している。この作品がそのまま商品として流通するとは思わなかったが、それは内容のせいではない。これを特異な文学作品として流通させるだけの度量が、今の日本社会にはなかろうということだ。案の定、商品としての出版は無理とのことだったので、こうした作品や書物のための受け手であるヘルスワーク協会から出版することにした。作品の中で彼女の遺体は花に囲まれた『花々の墓標』となった。
 自分が死ぬ夢は良い夢だ。それは現在までの自分が死に、それを葬る自分が新たに生まれつつあることを告げる夢である。自らの遺体を花で飾った「作家」佐藤亜有子の再誕生を悦びたい。
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 作品と呼ばれる象徴化作用の結実は、絶望を伴う試行錯誤の中で行われ、おそらく描いても描いても(書いても書いても)「それらしいもの」にならないといったものなのだろう。それが芸術家に固有の、飽くことなく続く「失せ物探し」の反復となる。このとき、外傷体験の反復という「自傷」に使われるはずだったエネルギーは、人びとが見る(読む、聞く)という現実に向かって「作品」を投げ込むことに消費される
 芸術家の作品とリストカット愛好者の切創写真との違いは、ここにこそあると思う。音なり絵なり文章なりの形で表象化されない「自己境界の確認行為」つまり「皮膚カット」ボディ・モディフィケーション」(刺青やピアシングや性器変形を含む)の類は、生きることに伴う痛みと自己喪失という現実にべったりくっつき過ぎていて象徴化の労苦を通過していない。再びフロイトの引用になってしまうのだが、彼は『詩人と空想すること』という論考の中で、白昼夢を見る夢想家は現実を無視して願望的幻想の達成という快楽だけを貪っていればいいのだが、芸術家となると作品として現実へと舞い戻らなければならない
 この点で作家・佐藤亜有子は今(08秋)苦しいところにいる。文藝賞で作家として世に出てから03年まで毎年一冊のペースで作品が出版され、そのうちのひとつでは芥川賞候補にもなった。しかし、04年に書いた自伝的小説は河出書房新社から出版されなかった。その作品(『花々の墓標』)は、それを世に出すことそのものが「自傷」になりかねない危うさを孕んでいるので、担当編集者が出版を止めさせたというのもわからないではない作家・佐藤の終わりを恐れたのだろうそこには「犯す父」を殺しきれない(内面化しきれない)亜有子の悲鳴そのものがさらけだされていて、あたかもリストカット写真を見るかのようだしかし特異な文章力の紡ぎ出す物語世界の迫力は圧倒的である。「これこそ言語化されたニキの世界」とわたしは思うのだが
 作家・佐藤亜有子はこの作品を契機に思い切ってマルグリット・デュラスの歩いた道を進めばいいのだと思う。それには、まず頑強でなければならない。自己破壊の道に迷い込まないですむ程度に。
 デュラスはモンスターのような母を憎み、それについて書いては書いているうちに母とそっくりなモンスター女になった。佐藤にとってのモンスター父は彼女に取り込まれて、どのような亜有子を生むのか。それを見たい。

いま、わたしはデュラスを読みたいと思っています。その前に、佐藤亜有子の全作品を、追悼の意味を込めて読了し、彼女の作品の価値の復活を諮りたいと思います。コロナ第6波が来るか来ないかにかかわらず、映画やドラマのネット配信は、今後も企画となる脚本を待望していると思います。世間に伸るか反るかという動向の波に、夭逝した作家・佐藤亜有子が忘れられないうちに。ふたたび屑籠に入れられないうちに。

(2021年10月14日)