クイア・プラクティス

ノン・ヘテロの身体障害者。雑文書き。観て読んで考えて書く。それが反応。

MtFトランスジェンダーと女装男はどう違うのか?

 

ジョン・アーヴィング原作の映画『ガープの世界(1982)』のあらすじと登場人物を簡単に紹介する。主人公ガープとその母親ジェニー、ガープの妻ヘレン、元フットボール選手のロバータである。

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 学生時代のガープが自伝小説を書こうとしたとき、看護師のジェニーは「私の人生を勝手に書かないで」と彼を制し、街角に立つ娼婦にインタビューしたりして、自叙伝『性の容疑者たち』を出版しブレイクする。小説家になりたいガープは、むしろジェニーの私生児として有名だった。世はフェミニズムの時代、公民権運動の時代である。ジェニーの自宅には徐々に女性たちが集まってきて、女性だけのコミュニティを作ったのだ。

 とある事件が起きる。11歳の少女エレンがレイプされて舌を切られる事件だ。被害者の少女が告発しても直接訴えることができないだろうと残酷で卑怯な犯人は思ったのだ。事件に抗議するコミュニティはみな怒りに満ちた顔で筆談をし、なかには自分で舌を切って抗議する極端な女性もいた。男に対して敵意を抱く女性たちは、ガープのことも嫌っていた。そのコミュニティのなかでSRSを受けたロバータだけは彼と友好的に接した。

 あるとき、フェミニスト政治家の講演の応援をするために出かけたジェニーは、集会の広場で暗殺者の銃弾に撃たれる。

 ジェニーの葬式には多くの人が出席した。ジェニーの支持者たちは、女性のみで追悼式を開くと言い出し、ガープの出席を認めない。ロバータはガープを女装させ、追悼式へ出席させてやる。

 追悼式に集まった女性たちは男を憎んでいた。そのなかには幼馴染のプーもいて、ガープを目ざとく見つける。ロバータは女性たちからガープを守り会場から出す。裏口へ案内してくれたのは、なんとあのエレンだった。彼女は本の出版を喜んでくれており、ガープは感動する。

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 あらすじは以上。さて、ここで問題。男をヘイトする女性コミュニティは、なぜロバータを受け容れてガープを排除するのだろう。ロバータもガープも、同じ女装の男性ではないのだろうか。

 答①:ロバータもガープも同じ男だ。あなたがこう答えたなら、あなたはTERF(Trans-exclusionary radical feminist:トランス排除的ラディカルフェミニストかもしれない。シスヘテロ男性もMtFトランスジェンダーもどちらも男性だろう。と、あなたは大雑把に、乱暴に答えるだろう。あなたは<男性における性差>というものの微妙な違いが見えていないのかもしれない。

 答②:ロバータもガープも同じ男だけど、ロバータは女性名を使用し、セクシーな色どりの服やヘアメイクで着飾っていても、ロバータのほうがむしろガタイが大きいし、ガープのほうが背が低い。ロバータは男性の恋人がいて、ガープは結婚して子どもが二人いる。セックスは同じ男でも、「性的志向性自認(SOGI:Sexual Orientation & Gender Identity)」は違うのだ。

 百歩譲って、TERFなるものたちは「社会的弱者である女性が集まっている場所、たとえばDVのシェルターに、レズビアン・コミュニティに、レディース・バーに、女子大に、女子便に、銭湯に、なぜわざわざMtFトランスジェンダーが入ってくるのか?」と(主にネット上で)憤っている。まさにその通り。

 で、あなたは実際DVシェルターにいたのか? レズビアン・コミュニティには? レディース・バーは? 女子大や女子便や銭湯に、MtFトランスジェンダーが割り込んでくるのを、あなたは目撃したのだろうか?

 もしかして、ネットの言葉に影響されてないか? 想像力豊かなのは結構だが、証拠はないはず。

 わたしは実際、レズビアン・コミュニティでMtFトランスジェンダーを目撃したことがある。また十数年前、某レズビアン・コミュニティではスタッフ同士で「もしトランスジェンダーが来たらどうするのか? 追い出すのか、それとも受け容れるのか?」という議論があったという。

 たとえば、「女性を愛する女性」が出会いを求めて参加した。そのとき初めて会ったのは「レズビアン」と自称しているけれども外見上普通の男性である。びっくりした参加者は、もう二度とそのコミュニティには来ないだろう。彼女はずっと怯えているそうだ、本当は女性との出会いを求めたいのだけど、男性に出会うのはもうこりごり。

 もしレズビアン・コミュニティに男性がいても、わたしは怯えることはないので、以上は想像である。だがあなたたちTERFの想像は、わたしの想像と異なる。TERFのは妄想で、ただの譫言だ。

 もし「女性たちが安心できる場所」で確かに「男性」がいたのなら、なぜ怯える必要があるのだろうか? それは「不安」でも「恐怖」でもない、ただの「混乱」である。

 あなたたちTERFが「女性とは何か? 男性とは何か?」という性的概念の境界が、性的常識が、「ほんとうのわたし」ががらがらと崩壊するのが怖いのだ。性はグラデーションではなく「女か? 男か?」、常にゼロか100である。極端な思考だ。

 あるとき、レズビアンの友人が話していたのを覚えている。彼女は初めての相手とセックスした。その相手はDSD性分化疾患)で、身体は女とも男とも判別できなかった。レズビアンの友人は果たしてレズビアンになったのだろうか。

また、外見的には典型的な女性に見えるのだが、外性器の形はヴァリエーション豊富だ。クリトリスなのかペニスなのか判別しにくい。男性のペニスよりも大きなクリトリスを持つ女性は、世のなかにはたくさんいるだろう。

性別はセックス(身体的性役割)ではなく、つねにすでにジェンダー(社会的性役割)である」と頭ではわかっていても、肝心な場合には必ず「相手の性器(セックス)は男か? 女か?」と基本的な判断(習性)がつい働いてしまう。「相手の性器(セックス)」が男女どちらか気になるのは、同時に「わたしの性器(セックス)」が男女どちらなのかが気になるのだ。

 つまり、あなたがどんなに自由でいても、どんなに知識があっても、性の常識の砦を崩壊するのが最上の恐怖なのだ。

 たとえばもし、あなたが乳がんで乳房を失い、子宮がんで子宮と卵巣を失っても、果たしてあなたは堂々と「女性である」といえるのだろうか。

 

(2021年11月9日)