クイア・プラクティス

ノン・ヘテロの身体障害者。雑文書き。観て読んで考えて書く。それが反応。

『メイドインアビス』と『苦海浄土』

石牟礼道子苦海浄土』読了。「水俣病」「公害病」との言葉が目立つため、公害企業告発のルポルタージュか社会派(環境汚染反対)ノンフィクションと思って読むと飛んだ大違いである。彼女自身が書いた「浄瑠璃」か渡辺京二氏が解説で書いた「私小説」か、作品の定義がいまだ決められず、新聞記事や企業と市民団体の契約書、医師の診断書、研究結果報告書(第三者が記した事務的で味気ない文章)と当事者の語り(著者が憑依したとしか思えない語り!)とが複雑に入り混じった「キメラ文学」か、はたまた鵺か蝙蝠か、しかし私は長編の「叙事詩」であるとみなした。彼女は詩も書いてるし。

amazonレビューをざっと見ると、「原発事故」「パンデミック」「人災」などなど現代のパワーワードが読み取れる。何もしない無能な政府、災いをもたらすも事実を認識しない企業、その被害は全部地域住民が被る、その結果被害者たちは長いあいだ放置され、やがて棄民になる。

この状態なら「死んだほうがまし」だと当事者は口々に語る。胎児性水俣病患児たちは親だからこそ「いっそ殺したほうがどれだけ幸せか」と嘆く。

「熊本医学会雑誌(昭和31年1月)」によると、

 

病例 第一例 山中、28歳女、職業漁業
発病年月日・昭和31年7月13日
主訴・手指のしびれ感、聴力障碍、言語障碍、歩行障碍、意識障碍、狂騒状態
既往歴・生来頑健にして著患をしらない。
家族歴・特記すべき遺伝関係を認めないが、同胞6名中8歳の末弟が30年5月以来同様の中枢神経性疾患に罹患している。
食習慣の特異性なし。
現病歴・31年7月13日、両側の第一、二、三、四指にしびれ感を自覚し、15日には口唇がしびれ耳が遠くなった。18日には草履がうまくはけず歩行が失調性となった。またその頃から言語障碍が現われ、手指震顕を見、時にChorea様の不随意運動が認められた。8月に入ると歩行困難が起こり、7月水俣市白浜病院(伝染病院)に入院したが、入院翌日よりChorea様運動が激しく更にBallismus様運動が加わり時に犬吠様の叫声を発して全くの狂騒状態となった。睡眠薬を投与すると就眠する様であるが、四肢の不随意運動は停止しない。上記の症状が26日頃まで続いたが食物を摂取しないために全身の衰弱が著名となり、不随意運動はかえって幾分緩徐となって同月30日当科に入院した。なお発病以来発熱は見られなかったが、26日より38度台の熱が続いている。
入院時所見・骨格は小にして栄養甚だしく衰え、意識は全く消失している。顔貌は老人様、約1分間の間隔をとって顔面を苦悶状に強直させ口を大きく開いて犬吠様の叫声を発するが言葉とはならない。その際同時に四肢のChorea様Ballismus様運動を伴い躯幹を硬直させ後弓反張が認められる。体温38、脈拍数は105で頻にして小、緊張は不良、瞳孔は縮小して対光反射は遅鈍である。結膜には貧血、黄疸なく――(略)
入院経過・入院翌日より鼻腔栄養を開始、31日は入院当日同様の不随意運動を続けていたが、9月1日になると運動は鎮まり筋緊張はかえって減弱し四肢に触れても反応を示さなくなった。体温39、脈拍数122、呼吸数33で一般状態は悪化した。翌2日午前2時頃再び不随意運動が始まり狂騒状態となって叫声を発しこれを繰り返すに至ったが、フェルバビタールの注射により午前10時頃より鎮まり睡眠に入った。午後10時に呼吸数56、脈拍数120、血圧70160mmHgとなり翌日午前3時35分死亡した。

なお、私は読書と並行して劇場版『メイドインアビス』鑑賞終了。感想は「TVシリーズからあまり変わっていないが、もしかして原作者はこれらの災禍を詳細に知っていたのではなかろうか?」という、直感的かつ短絡的なものであった。

あらすじは省略するとして(興味のあるかたは電子書籍かアマプラで検索・鑑賞してください)、探掘家を目指す孤児のリコは、母であり有名な探掘家でもあるライザの伝言に呼び寄せられるように、アビスの大穴を無敵のレグと共に潜っていくが、深界4層に到達するとリコが致命的な怪我をし、レグは泣きながら混乱しながら右往左往する。一部始終を見ていた「なれ果て」のナナチは二人を助ける。リコが危機のときのレグは「まるで自分のようだった」とナナチは語った。

深界4層で暮らしている「ウサギ人間」ナナチと「人間性を喪失した化け物」のミーティはどちらも浮浪児であり、遠くない過去に白笛ボンドルドの上昇負荷実験のモルモットにされたのである。これはまさに「人災」で発生した「棄民」だ。

人間性を喪失したミーティとコミュニケーションをとることができないナナチは、かつては友だちであり、化け物と化したミーティに過去の面影がよぎる。一人では何もできないし、死ぬこともできない。だったらミーティを捨ててしまえばいいものを、親しかったミーティを捨てることはできない。ナナチもいつか死ぬときがくるが、そうなったとき、ミーティは暗闇の奈落の底で永遠に孤独なまま生き続けてしまうのではないか、ならば「いっそのこと殺してほしい(自分が生きてる間に見届けたい、ミーティの魂をこの身体から解放してほしい)」とレグの火葬砲を見てナナチは密かに小声で頼むのだ。

一方、「水俣病」は史実である。チッソ株式会社がメチル水銀を混ぜた工場排水を海に流したことが原因で、魚や飲料水に蓄積され、それが地域住民や猫に悪影響を与えることになる。魚を食べた猫や住民は「踊り狂い」、猫はそのまま海に突進して水死する。かつては頑健な成人男性が「奇病」に冒されていまや赤子のようになっている。やがて魚は獲れなくなり、人間は「謎の奇病」に冒され、近隣住民に「伝染するんじゃないか」と恐れられる。「奇病」が起こったのが昭和28年、「水俣病」が公害認定され「いのちのねだん」が政府や企業に決められたのが昭和43年。ここまで来るのに15年の歳月が経ったが、いまだ和解や解決はされていない。

それよりも私が興味深いと思ったのは「当事者(または当事者家族)の語り」である。当時はノートもテープレコーダーもなく、水俣出身の彼女が患者たちと会ったのはたったの数回きり。患者たちはすでに語ることができず、ではどうやったら「当事者の語り」は可能だったのか。それは渡辺京二氏が解説で書いているが、私にはまだよくわからない。幼少の彼女と祖母のこんなエピソードがある。

 

(…)これらのエッセイで、彼女は幼い時に見てしまった、ひき裂けたこの世の形相を何とかして読むものに伝えようととし、それが決して伝わるはずもないことに絶望しているかのようである。

 

<気狂いのばばしゃんの守りは私がやっていました。そのばばしゃんは私の守りだったのです。ふたりはたいがい一緒で、祖母はわたしを膝に抱いて髪のしらみの卵を、手探りで(めくらでしたから)とってふつふつ噛んでつぶすのです。こんどはわたしが後にまわり、白髪のまげを作って、ペンペン草などたくさんさしてやるといったぐあいでした。>(『愛情論』)

 

(…)これはひとつのひき裂かれ崩壊する世界である。石牟礼氏が『苦海浄土』で、崩壊しひき裂かれる患者とその家族たちの意識を、忠実な聞き書などによらずとも、自分の想像力の射程内にとらえることができるという方法論を示しえたのは、その分裂と崩壊が彼女の幼時に体験したそれとまったく相似であったからである。

 

「コミュニケーションができない」「分かり合えない」のは現代のほうがより顕著なケースである。重度の精神疾患患者や知的障害者だけではない、認知症だけではない。「愛情があればコミュニケーションできる」などと道徳的かつ曖昧でありきたりな主張をしたいわけではない。完全なるフィクション『メイドインアビス』でも「人間性を喪失した」相手と「コミュニケーションできな」くて泣く泣く殺してしまう「美談」を、いかに解釈するのか? もちろん「美談」として解釈してはならない。私個人も「意思の疎通できない! もう無理!」と思って諦め切り捨てて(排除して)きた多くの人間たちがいるが、一方で私もまた世界に切り捨てられてきたのも事実である。

傑作『苦海浄土』を読んで「これまで自分がどう生きてきたか?」を反省するとともに、「これから自分はいかに生きていくのか?」という重要な課題を与えられたのである。

 

(2020年8月21日)