クイア・プラクティス

ノン・ヘテロの身体障害者。雑文書き。観て読んで考えて書く。それが反応。

本の花束 はじめに

ホロコーストの生還者でノーベル文学賞作家のヴィーセルや、ユダヤ人女性作家アンナ・ラングフュスの本を調べていたら、久保覚『古書発見 ――女たちの本を追って(2003、影書房)』という名著をたまたま発見しました。
久保覚(1927~98)さんは『新日本文学』編集長(1984~87)で文化活動家、朝鮮芸能文化史研究者です。『花田清輝全集』(講談社)などの名著を世に送り出した名編集者であり、自由創造工房、宮沢賢治講座、群読(ひびきよみ)の共同創作などを通して市民の文化・芸術活動の理論化を目指していました。90年より、生活クラブ生協連合会発行月刊誌《本の花束》編集協力者でした。
『古書発見』は、この月刊誌に連載されたエッセイをまとめたもので、生活組合員の女性たちによる<本選びの会>を中心に、“生活者のための本の新聞”を目指し、独自の視点で本を選び、読者に手渡す活動をしてきました。とりわけ、女性創造者・活動家の埋もれた仕事に光をあて、女性の書手を発掘し、また無名の女性たちの共同創造活動をさまざまな形で提案し、応援してきたことは特筆しておくべきでしょう。その久保さんが、「埋もれ、見過ごされ、打ち捨てられた、しかし私たちにとっていま必要な<女たちの本>を再発見して書いたのが『古書発見』です。
 なぜ男性の久保さんが<女たちの本>の編集をしてきたか、女性たちの共感を抱かせ続けてきたかというと、実は在日韓国人朝鮮人で、高校中退の在野の苦労人でした。これはマイノリティ同士の知で集積した、まさに貴重で結晶のような本なのです。日本人男性エリート=マジョリティでは、この本の価値は見過ごされていたに違いありません。
 ロシア語の同時通訳者の米原万里(1950~2006)さんは読書家で有名でして、著書『打ちのめされるようなすごい本(2006、文藝春秋)』を読んだ私は文字通り打ちのめされたのですが、『古書発見』より少々イデオロギーに欠けるというか、言い換えれば、イデオロギーをより重視した本が現在の私にはひじょうにマッチしておりました。久保さんの読書量や知識量、博識さ、感性の鋭さ、先見の明はおろか過去の重大な事件にも気づかせてもらい、そのご恩返しに(といっても分不相応ですが)、『古書発見』のなかから私が再び<私たちにとっていま必要な《女たちの本》>を紹介しようと思っています。
『古書発見』はぶっちゃけ“ネタ本”であると同時に“参考書”ですが(この時代ではネタはスルーされてしまうかもしれませんが)、すでにネタとしてはひじょうに扱いづらい本たちを前にして、さらに参考書を開いて独自の解釈をしようというのですから、かなり高い目標を掲げたものだと、我ながら嘆息混じりです。なぜこんな高い目標になるのかさっぱり理解できません。かといって、単なる読書感想文では物足りないと思います。がしかし、完走できるかどうか心配ですし、たぶん引用だらけだと思います。読むだけでなく、自分でキーボードを叩いて血肉にしたいと思います。もちろん著作権使用許可はもらっておりません。もし著作権違反の苦情がきたら、このブログは速攻削除します。

(2021年5月27日)